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和歌山家庭裁判所 昭和43年(家)650号 審判

申立人 中川克典(仮名)

主文

申立人の氏「中川」を父の氏「奥村」に変更することを許可する。

理由

一、申立人は、主文同旨の審判を求め、その理由の要旨は、「申立人は、昭和一九年三月一一日父奥村忠と母中川トシコとの間に出生した婚外子であるが、昭和四三年一〇月二三日父忠に認知された。申立人は、出生以来父母と生活を共にして来たのであるが、近い将来婚姻するについても父の氏を称した方がなにかと便宜であると思うので、父の氏を称したく本申立に及んだ。」というのである。

二、本件記録添付の戸籍謄本、奥村朋子の答弁書と題する書面、および申立人審問の結果によると、

(一)  申立人は、昭和一九年三月一一日、父奥村忠と母中川トシコとの間の婚外子として出生し、昭和四三年一〇月二三日父忠によつて認知されたものであること。

(二)  父忠は、昭和二七年頃から上記トシコと同棲し、爾来申立人は忠とトシコの手許で養育され、成人したものであること。

(三)  申立人は、最近二、三結婚話があつたが、申立人が非嫡出子であり父と氏を異にすることが知れたのが一因となつて話が円滑にまとまらない事例が存したこと。

(四)  ところで、父忠には、大正一二年八月二四日婚姻した妻朋子があり、同女との間に二男四女の嫡出子(うち長男は今次大戦中病死)を儲けたのであるが、昭和二七年頃朋子を捨てて出奔し、上記中川トシコのところへ走り同女と同棲することとなつたこと、そして、妻朋子は大阪市東住吉区○○町に居住し、成人した上記嫡出子はいずれも婚姻し独立して生活を維持していること。

(五)  忠は出奔以来、妻朋子や子女に対し仕送りなどの経済的援助はもとより、精神的な面での協力も何一つせず、妻朋子が女手一つで一男四女の子女を養育し、それぞれ結婚させ、独立させて今日に及んだこと。

(六)  申立人の父の妻朋子やその嫡出子らは、申立人が改氏して朋子と同一戸籍に入籍することに強い異議を唱え、反対の意向を表明していること。

大要以上の事実が認められる。

ところで、本事案の如く、本妻が婚外子の父の氏への改氏に対し異議を唱えている場合、その反対意思を如何に斟酌し考慮すべきかについては、見解の対立するところである。本妻の異議をその儘にして直ちに改氏を許可するときは、婚姻中の夫婦間の葛藤を一層刺激助長し、その解決を益々困難ならしめる結果を招来する虞れがあり、家庭の平和と健全性を損ねること、氏や戸籍を同じくすることによつて親族相続法上の実体的権利義務に何ら影響するところはないけれども、現在のわが国の国民感情から見れば非嫡出子が同籍することにつき正妻や嫡出子に強い感情的、心理的反発を生ぜしめることは否めないし、またわが国の社会生活の実情からすると非嫡出子が回籍することにより嫡出子の婚姻等に支障ないし不利を来たす事例が全くないとはいえないのであつて、これらの不利益を避けんがために本妻が非嫡出子の改氏に反対することは、単なる感情問題にとどまるのではなく、一種の社会生活上の利益擁護にほかならないこと、そして、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として解釈さるべきことを宣言した民法や家庭の平和と健全な親族共同生活の維持を図ることを目的とすると家事審判法の法意に徴するときは、正当婚姻家庭に属する妻や嫡出子らの上記の如き感情上ならびに社会生活上の利益に立脚した反対意思はこれを十分尊重しなければならないこと等を論拠とする積極説がある。

一方、氏は個人の呼称であつて、非嫡出子の改氏も父母の一方の氏に改められるに過ぎないから何ら呼称秩序を紊すものでないこと、婚外子が本妻らと氏や戸籍を同じくしても、親族相続法上の実体的な権利義務に変更を来たすものではないこと、積極説の発想は、非嫡出子と家籍が同一となることに対する本妻の感情的抵抗感や因習的国民感情の配慮に傾斜し過ぎる考え方であること、婚姻中の夫婦間の葛藤は、夫婦間調整の問題として別途に処理さるべきものであり婚外子を犠牲の座に置いて改氏不許可の理由とするのは異筋であること等を論拠とする消極説が存する。思うに、非嫡出子の保護は、その父が他に本妻や嫡出子を有するものである限り、これら本妻らの婚姻上の利益を大なり小なり侵害し、これを犠牲に供する結果を招来するものであることは明らかである。さればといつて、婚姻利益擁護のためには非嫡出子の福祉を度外視してよいということにはならない。正当婚姻家庭の擁護と非嫡出子の保護とは、いわば家族法制下における二律背反の関係にあるともいえるのである。

正当婚姻家庭の擁護のためには、上述の如き本妻の異護は十分これを尊重し斟酌すべしということになろうが、非嫡出子の福祉の見地からは、これに傾斜し過ぎることは危険である。しかしながら、わが家族法は、正当婚姻家庭の擁護と非嫡出子の福祉とをいわば二律背反的関係に立たせたとはいいながら、実践的命題としてはこれら二つの理念の調和ある運用を要請しているものと見なければならない。

非嫡出子の改氏にあたつても、非嫡出子を犠牲の座において正当婚姻家庭の利益擁護にのみ堕することなく、一方非嫡出子の福祉にのみ傾いて正当婚姻家庭の崩壊を座視するが如き結果を招来しないように具体的事案毎に検討を加えるべきである。

かかる見地からするならば、改氏に対する本妻の異議の如きは、改氏許否の唯一絶対の要件とすべきではなく、正当婚姻家庭成立の事情、家族構成、その破綻の事情、また非嫡出子の家庭の家族構成、父との結合関係、生活状況などとともに改氏許否の一事情として斟酌すれば足りるものと考えるべきである。

しかして、本件においては、申立人の父忠は妻朋子との間に二男四女を儲けながら妻子を捨てて申立人の母中川トシコの許に走り、爾来妻子に対する仕送りをしたこともなく、今日まで全くこれを顧みることもなかつたもので、婚姻破綻の責任はあげて一切忠に帰せられるべきものと考えられる。妻朋子が申立人の改氏に反対する気持は、同女の過去十数年に及ぶ労苦を思えば推測するに難くない。

しかしながら、幸いにして朋子の手によつてその嫡出子らはそれぞれ独立して生活を営むに到つており、戸籍上は夫忠と妻朋子の両名が家族構成をなしているに過ぎず、朋子も既に齢七〇歳に近く、申立人と家籍を同じくしても、そのことによつて社会生活上特段の不利益を蒙るとは考えられない。そして忠と朋子の婚姻は破綻といわんより既に崩壊に瀕している状況であり、本件改氏の有無如何によつて破綻の深度が左右される程度のものではないと考えられる。

一方、申立人は、年齢二五歳に達したものであるが、父より認知を受けたのは昭和四三年一〇月二三日であり、出生以来今日まで非嫡出子としての窮境に堪えて来たものである。最近二、三の結婚話もあるが、同居の父と氏を異にすることなどが一因となつて話が纒らなかつたこともあるというのである。申立人も思慮分別ある年齢に達しており、十分に自己の将来の生活や福祉を考えて本件申立をしたものと推認されるのであり、父の妻の家庭を攻撃するなど不当の目的を以てしたものとは認められない。忠と朋子との婚姻関係は既に崩壊とみるべきものであるが、両名の努力によつて調整が可能ならば、その復活を図るか、さもなくば清算を完結するかであるが、いずれにしても本件とは別途にその手続を進めるべきである。

以上の諸点のほか本件に顕われた諸事情を彼此綜合して考慮するときは、本件においては申立人の福祉にその重点をおくべく、申立人の父の氏への改氏はこれを許可すべきが相当である。

よつて、本件申立を認容し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 諸富吉嗣)

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